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北京地下城のいま

実際に、人民大会堂に面する天安門広場の周辺の地下には、市民が避難できる地下通路がつくられた。数年前まで「北京地下城」として一部に公開されていた場所もある。 (朝日新聞中国総局(2013)『紅の党 完全版』朝日新聞出版 p.297)

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北京地下城は冷戦時代、1969年の中ソ関係が悪化した頃から10年の歳月をかけて工事が行われ、30万人を収容できるの建造物として出来上がった地下防空壕です。

かつては公開されていましたが、2008年に閉鎖されました。ただ、中国政府首脳が執務する中南海周辺では今でも現役の地下施設があると言われています。

今回はかつて公開されていた北京地下城の跡地に行きました。

結論から言うと、ほぼなにもありませんでした。

近くには時代を感じさせる建物がありました。

2017年6月18日#

最初(2017年6月18日)、住所を西打磨廠街69号と間違えて写真を撮ってしまいました。

近くに座って日向ぼっこをしていたおじいさんに「ここが以前の北京地下城ですか?」と聞いたら「そうだ」と言われたのに。そのおじいさんはこれ以上日向ぼっこする必要がないほど日焼けしていました。

西打磨廠街自体はきれいに整備されていました。

時代がかった建物もありました。

空軍の招待所もあります・「今日は空き部屋あるので一般客も受け付けます」と書いてありました。一度泊まってみたい。

2017年7月15日#

後日(2017年7月15日)、実際の住所であった西打磨廠街62号に行ってきました。

今では前門街道社区服務(文体)中心になっていました。街道とは区政府の末端組織のことです。今でも公的機関が管理している土地のようです。

そこの警備員さんは新しく来た若者なのでよく知らないようでしたが、街道の人っぽいおじさんに聞いたところ、北京地下城は「平了」(埋めた)とのことでした。残念です。

なお、前の月に来たときあった、時代を感じさせる建物は(このページ一番上の写真)あっという間に取り壊されていました。

これもまた、残念です。

少しだけ、窓枠が残っていました。

なお、前回のおじいさんはやっぱり同じ場所で日向ぼっこをしていました。これ以上日向ぼっこする必要がないほど日焼けしていました。

関連リンク#

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北京地下城のいま
https://webkikou.pages.dev/posts/2017-08-04-beijing-underground/
Author
ウチボリ
Published at
2017-08-04